小学校高学年の頃⑦
小6も終わりに近づいてくると、嫌でも受験を意識するようになった。
同じ小学校の中学受験生たちも本気で受験勉強をしているように見える。
僕も10月ぐらいからは、一切友達と遊ばずに勉強に集中していた。
小6の春ごろの模試では偏差値30台だった成績も、夏の終わりに行われた、四谷大塚の“合不合判定テスト”では算数が偏差値47、国語が偏差値46ぐらいにまで上昇しており、自宅と塾での勉強の成果が実を結び始めたように思えた。
自宅での勉強のやり方としては、早朝に「でる順 過去問 計算」「でる順 過去問 漢字」の2冊を時間を計って解き、学校から帰った後に「自由自在 算数」「自由自在 国語」を少しずつ解くだけである。
ただし、小6の秋の時点で「でる順」の2冊についてはほぼ完璧になっており、自由自在(主に算数)も基本問題はスラスラ解けるレベル、標準問題は頑張れば4~5割ぐらいは解けるレベル、といった感じであった。
当時小6の僕は誰に言われるわけでもなく“標準問題を解けるようになれば成績がアップする!”と考え、秋から冬にかけて、自由自在の勉強に集中していた。
なお、塾については、この時期になると、テスト慣れすることが主な目的となり、受験問題を解きまくるだけの授業になっていたため、さほど塾の勉強には力を入れなかった。
こうして時は流れ、12月には最後の“合不合判定テスト”が行われた。
このテストは思いのほか結果が良く、2科目の総合偏差値は過去最高の52。
“國學院久我山中学校”と“日本大学第二中学校”が成績表の“挑戦校”の欄に載るようになったのである。
ただ、この2校については、過去問を解いてみても難易度が高く、どの年度も合格最低点に10点~15点ほど足りなかった。
要するに、合格のためには、もう1段階上の実力が必要なのは明らかだった。
こうして、中学受験の出願の時期を迎えたわけだが、志望校は僕ではなく、親がすべて決めた。
母親は、僕が受験に落ちたらショックを受けるだろう、という理由で偏差値42~46の合格安全校(模試によると合格可能性96%以上)のみ3校に出願。
ちなみに僕個人としては、共学が良かったのだが、何となく恥ずかしくて言うことができず、志望校3つとも男子校にされてしまったのである(泣)

受験の結果は書くまでもなく、すべて合格。
合格安全校しか受験していないのだから当然だ。
僕は正直、納得いかなかったが、まぁ仕方がない。
1年前は偏差値30台だったわけだし、塾の先生に「行ける学校はない」とまで言われたのだ。
それに結局、四谷大塚の“準会員”にすら、なれなかった。
(当時の四谷大塚は生徒の学力に応じて“正会員”、“準会員”、“資格なし”に区分されていた)
行ける私立中学があるだけでも、僕にはありがたいことではないか。
こうして僕は偏差値46の中高一貫男子校に進学することになったのである。
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