小学校高学年の頃④
それから数日後、僕が学校から帰ってくると、テーブルの上にテキストが置かれていた。
旺文社の「でる順 過去問 計算」と「でる順 過去問 漢字」
受験研究社の「自由自在 算数」「自由自在 国語」の4冊である。



↑の画像は2026年現在の最新版であるが、昔はもっと素っ気ない感じの表紙だった。
どうやら母親が本屋で買ってきたらしく、これを使って毎日学習するように、とのことだった。
僕が塾についていけないことを知った母親が心配して用意してくれたものなので、やらないわけにはいかない。
そして、僕に「行ける学校はない」と言った先生を見返してやりたい、という気持ちもあった。
そんなわけで、でる順の「計算」と「漢字」を小学校に登校する前の朝の時間に、自由自在「算数」「国語」の2冊は学校から帰った後(塾がない日)に少しずつ進めることにした。
特に記憶に残っているのが、でる順「計算」で、↑の画像を見てもらえればわかる通り、テキストには1ページにつき約10問の計算問題が掲載されている。
一番最初に解いたときは、1ページを終わらせるのに20分~25分ぐらいかかり、正答率も50%ぐらいだったが、何周も何周もテキストを繰り返し解くことにより、1ページにかかる時間は25分→15分→12分→6分、といったように劇的に早くなっていった。また正答率も最終的にはほぼ100%になった。
そしてあっという間に月日は流れ、いよいよ最高学年を迎えることになった僕。
塾では母親と塾長の二者面談が行われ、僕は社会と理科を捨てて、2科目受験の方針でいくことになった。
また、塾のクラス分けが行われ、3軍(一番下のクラス)に振り分けられた。
(まぁ模試の偏差値が30台だったので当たり前なわけだが・・・)
つまり、僕が在籍しているクラスは“勉強ができない落ちこぼれ生徒の寄せ集めクラス”だったわけである。
落ちこぼれにカテゴライズされた僕は、同じクラスの“須崎くん”と“宮田くん”と一緒にいることが多かった。
今思えば、同じ落ちこぼれ同士、仲間意識があった気がする。
3軍クラスは塾のお荷物的な存在だったが、僕にとって良い面もあった。
それは先生が基礎的な内容を分かりやすく、丁寧に説明してくれるようになったことだ。
特に算数の渋谷先生は、見た目は陰キャの眼鏡先生といった感じなのだが、僕たち3人組を“3馬鹿”というニックネーム(?)で呼んでくれるぐらい面白い人で、僕との相性が良かった。

塾の授業が終わった後は、廊下で缶コーヒーを飲んでいる渋谷先生のところに行き、わからない部分を質問した。
先生は丁寧に教えてくれて、質問を終えると、少しだけ頭が良くなった気がしたことを覚えている。
渋谷先生は間違いなく、僕の小学生時代 No.1の“恩人”であった。
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