しょこたんウォッチャーだった頃②
最初のうちは単にブログを読んだり、2ちゃんのVIP板に書き込んでいただけであったが、しょこたんの歌手としての活動が本格化したことで、イベントに参加することが多くなっていった。
個人的な考えでは、3rdシングル“空色デイズ” (天元突破グレンラガン オープニング曲)がヒットしたことがきっかけで “歌手としての中川翔子”が認知され、その後もアニソンを歌うことが多くなっていったように思う。

イベントがあるのであれば、交通費をかけて会場まで行かなければならないし、さまざまな特典がついているCDも買いたくなってくる。
とはいえ、僕は家に引きこもってゲームばかりしている“ニート”である。
お金に余裕は全くない。
そんなわけで、僕は神奈川県にある某個別指導塾にて、塾講師のバイトを始めた。
教えていたのは小学生から高校生までで、教科は数学、英語、化学、生物。
教え子は学校の勉強についていけず、やる気もない学生が中心。
ただ、僕からすると自分の力で学習することができる優秀な学生よりも、落ちこぼれの学生の方が教えがいがあると感じていた。
給料は1コマ(80分)たしか1,600円ぐらいだったので、時給に換算すると1,200円ほど。
この当時の最低賃金を考えるとそこまで悪くはないが、自宅で生徒のためのプリントを作成したり、授業の事前準備をしたりする必要があるので、正直言って割に合わない。
まぁでも、つい最近までずっとニートだったわけだし、実家に1円もお金を入れておらず、家賃も食費も無料生活を送っている僕からすると、そこまでお金に苦労することはない程度の収入だった。
ちなみに、お金を稼ぐことを第一に考えている場合、塾講師のバイトはお勧めしない。
理由は前述した通りだが、多くの塾では“1コマいくら”という給与体系になっており(現在はどうか知らないが)、授業と授業の間の空き時間には給料が発生しないのである。
ただ、僕が働いていた個別指導塾では塾長(教室長)が空き時間に事務作業(書類の片づけやプリントの印刷、近所に撒くチラシの作成など)を1コマ1,000円で課してくれたので、そこまで空き時間に困ることはなかった気がする。
あとは夏期講習とか冬期講習は多くの生徒が受講するため、アルバイトにとっては稼ぎ時であった。
こうして僕は、しょこたんウォッチャーになったことがきっかけで、ようやく“ニート”から抜け出し、社会で働き始めたのだった。
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